青春24歳 一冊の小さな本との出会いが (→Ⅱ章へ) (→Ⅲ章へ)
一冊の本との出会いが、人生の進路を大きく左右する動因となることがある。私の場合がそうだった。私は標高750メートルの信州伊那高原の故郷を高校卒業と同時に離れ、一人東京砂漠の中で1960年代の青春を過ごしていた。その24歳だった私が出会った100ページちょっとの小さな本のことから、この小さな物語をはじめよう。 一冊の本、田中芳三著「荒野に水は湧く」(ぞうり履きの伝道者升崎外彦物語)キリスト新聞社刊に出会ったのは、東京国立市にあったカンバーランド長老キリスト教会 国立のぞみ教会でのことだった。
当時の私は大学を卒業して、アメリカのメンフィスから来ていた宣教師を通じて奨学金を受けられることになり、神学校への入学準備にとりかかっていた時期だった。 ちょうどその頃、教会内に見過ごしに出来ない問題が起こった。そのことで教会の牧師と役員会を相手に四十名ほどの青年会のリーダーとして、私は小さな闘いを起こした。直ぐに一応の解決を見たが、その闘いを通して、私が抱いていたキリスト教会への期待やイメージが、大きく崩れた。こんなところに身を置いて、神学校へ行って牧師になったとしても、ろくな人間になれない。そして、ろくな人生を送れない。そのように確信した。
そんな私を見ていた一人の女性がいた。私より年配で青年会に所属していたその女性が、教会の玄関を出ようとした私を呼び止めた。「丸山君、この本に書かれている升崎外彦先生の処へいってみたら?、私が以前働いていた処なの…」と、教会の玄関先で、私に手渡されたのが、「荒野に水は湧く」の小さな本だった。この女性は、まもなく、教会の牧師と結婚することになっていた。
「ふ~ん」と言って、私はジャンバーのポケットに無造作に、その小さな本を突っ込み、その時はお礼も言わずに教会の門を出た。九州から出てきて東京芸大で美術を学んでいた友人と二人、国立駅前から伸びる一橋大学前の大通り近くにあった喫茶店に入った。 そこで、先ほどの本をパラパラと見た。読み進むうちに私は目の前の友人の存在も、喫茶店内にいることも忘れて本の世界に入り込んでいた。下宿先へ帰り一気に読み終えていた。
臍を眺めた生活の日々
この本の題名「荒野に水は湧く」が示している通り、私の荒野のように渇いていた心に、目に見えない水が湧きあがってくるのを感じた。全国から様々な事情を抱え、身を寄せる処のない人々が助けを求めて、この本の舞台、和歌山県南部(みなべ)にある「紀南労祷学園」にやって来ては、自分の中に眠っていた宝を発見して、それぞれに巣立って行ったいくつもの実話が、簡潔な文章で記されていた。
そして、この学園の創設者、升崎外彦牧師が、製紙工場で働く多くの少女たちに語った講話の要約も載っていた。それは、自分のお臍を眺めた生活姿勢から、顔を天に向けた生活への転換を迫る内容だった。その個所を読みながら私は故郷の母に聞いた私の幼少期の話を思い出していた。
空を見ろ
私の故郷、信州伊那高原で私が幼少の頃のことである。私はいつも失敗ばかりしていた。そのつど父は、「そらみろ!」と言った。私の失敗を指摘する言葉だった。するとある日、幼かった私は、自分の上に広がっていた青い空を見上げた。そんな私を見た父と母は笑った。そして、黙った。空を見上げた私の目に涙が浮かんでいたからだが、それだけではなかった。
内村鑑三、矢内原忠雄の流れを汲む無教会のクリスチャンだった両親にとって、空を見上げることは、天の父なる神さまの瞳を見上げることだった。また山の峯や、空に浮かぶ白い雲を見上げることも、同じだった。それ以来、短気だった父は「そらみろ!」と、私の失敗を指摘して怒ることが少なくなった。
この私の幼少の時の話は、中学生頃に母から聞いた。それ以来、私が空を見上げる時に、また高い山の峯や、空を流れる白い雲や夕焼け空を見上げるたびに、決まって思い出すものとなった。しかし、高校卒業と同時に故郷を離れ、東京での六年間の学生生活の中で、いつしか、母の話してくれた空を見上げる生活を忘れていた。「そらみろ!」と、故郷の父のように注意してくれる人もいなかった。
私は、この本に記されている升崎外彦先生に会ってみようと決意した。今までの臍を眺めた生活から脱出しようと思った。素朴な両親の信仰が教えてくれた、空を見上げた生活に向かって、この東京から脱出する時が来たとの、強い思いが湧きあがっていた 。
風のような 旅立ち 水泳バック一つで紀州の海岸へ(1969年初夏)
東京での六年間(1963.4~1969.初夏)の生活に別れを告げ、「荒野に水は湧く」の本の舞台、太平洋の波打ち寄せる和歌山県南部の海岸沿いにある「紀南労祷学園」へ私は旅立った。25歳になったばかりの1969年初夏のことだった。 和歌山県南部(みなべ)の海岸に立った時はすっかり日が暮れていた。海のにおいと潮騒の音が広がっていた。しかし本の口絵で見た海と沖合いに浮かぶ二つの小さな島は闇の向こうで見えなかった。
Tシャツに、頭はスポーツ刈り。肩には青色のズタ袋をかついでいた。その中には、「荒野に水は湧く」の本と水泳パンツにバスタオル、そして水中メガネが入っているだけだった。まるで小学生がプールへ出かける時のような、青春旅立ちの姿だった。所持金は切符などを買った残りの五千円札と小銭が、ジーパンのポケットに無造作に突っ込まれていた。
家族の中で守られていた高校生時代までの自分とは違い、東京での六年年間の独り暮らしでは、自分なりの年輪を刻んで、この和歌山県南部の海岸沿いにある「紀南労祷学園」に来たつもりだった。私はしばらく立ち止まって潮騒の音を聞いていた。見上げる暗さを増した空には一面に星々が輝いていた。 私を引きつけた沖に浮かぶ二つの小島は闇の中で見えなかった。
今その時のことをふりかえると、升崎外彦先生の働きの数々を記した「荒野に水は湧く」の本を一気に読んで、「これだ、これこそ俺が探し求めていたものだ。この先生の弟子になろう。」そのように心打たれての旅立ちだったことは間違いない。
しかし実は、この本の口絵に載る二枚の写真に私が一番吸い寄せられていたことを告白しなければならない。 まず上段の写真の真ん中に立つ升崎外彦先生の姿だった。故郷信州の両親に幼い頃から聞いた聖書のイエスキリストを感じた。そして次が決定的に私を引き付けた海と、そこに浮かぶ二つの小さな島の映った下段の写真だった。特に、この沖に浮かぶこの二つの小島が、私を猛烈に呼んでいたのだ。今までにない不思議な感覚だった。
そして、その小島に向かってひたすら泳いでいる自分を思い浮かべると胸が熱くなり、汗が出るほどに鼓動が高鳴ったのだ。 とにかく、この海の近くの「紀南労祷学園」でこれからの俺の人生は、力強く始るのだ。この俺はここへ向かうのだ。他に俺の行くところはない。そして数日後には、慌しく東京での身辺整理を終えて、「紀南労祷学園」のある和歌山県南部に向かう列車の中にいたのだった。 Ⅰ章の2へ続く


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